――その1―― 賢一は、横浜地方裁判所川崎支部の外に出ると、門の前の歩道から五階建ての裁判所を振り返ってみた。 今日はこの建物の三階で、破産について免責決定の通知を受けたのだ。 同行してくれた秋山顧問弁護士は、「石井さん、全部終わりましたね。これで、債務はすべて無くなりましたよ。正式な書類は後日、裁判所から自宅に送られてきますから……」と言って、タクシーで先に帰っていった。 賢一は、もうここに来ることは二度とないだろうと思いながら、駅に向かって歩きだした。 巨額の債務から解放され、〈破産者〉から〈普通の人〉にやっと戻れたという安堵の気持ちと、同時に債権者に対して申しわけないと言う気持ちが複雑に交錯していた。 中でも、賢一の会社から不渡りを受けて自殺を図ってしまった取引先の社長のこと、その家族のことを思うと、今も心の奥深くに抜きたくとも抜けない棘が刺さっているような痛みを感じるのだった。 返済可能な収入が見込めるのであれば、そうしたいと願っていたが、破綻直後に還暦を迎え、年金収入しか見込めない賢一にとって、自分の最低限の生活の維持がやっとであり、破産申し立てはやむを得ない手段だったのだ。 一年半前の暮れも押し迫ったあの日、いつも冷静な財務担当部長の宮下が、ノックもしないで社長室に駆け込んできて、「社長、銀行が融資を断ってきました。もう継続融資の見込みはまったくないそうです」と血の気を無くした顔で報告に来た。 「えっ、なんだって。そんなバカな……」と賢一は思わず立ち上がって言った。 あわてて銀行に電話を入れると「本部が認めないんですよ。社長、すみませんが信用金庫の方に頼んでみてください」と、支店長は平然と言った。 すぐに宮下とともに銀行に飛んでいった。女子行員に応接室に通されたものの、ソファーに坐る気もせず立ったまま待っていると、まもなくやってきた支店長は、「社長、申し訳ありません。私の力ではもうどうにもなりません。本部が認めないんです」と長身の身体を、頭が床を差すほどに深々と下げ、陳謝するのだった。 「追加担保を入れる手続きまでしたんですよ。融資してもらえないのなら、あの物件を返してください」 賢一は、自宅近くに所有するアパートを抵当物件として新たに差し出したことについて言った。 「いや、今までご融資している分の担保が不足しているんです。本部がそれに充当しろと……」 支店長は丁重な物腰ながらも双眸には強い意志をしめし毅然とした態度で言った。 新規に担保を入れれば、本部も追加融資を認めるでしょう、と言っていたのに、これでは詐欺同然ではないか――という言葉が喉元まで出かかったが、その怒りを無理矢理閉じこめて銀行を後にした。 結局、信用金庫からも、「メインの銀行さんに断られたからといって、じゃあ私どもがご融資を、という訳にはいかないんですよ」と、あっさり拒否されてしまったのである。 以後、賢一の会社は、スキーヤーが凍り付いたゲレンデで転倒して止めようもなく滑り落ちていくように破綻への道を突き進んでいった。 破綻前に最後の手段として、有力仕入れ先数社に事情を打ち明け、手形のジャンプを依頼し、しばらくは支払い手形の期日書き換えに応じてもらって急場を凌いだが、その間、一向に業績が回復しなかったために、とうとう見放されてしまったのである。 「残念ながらこれ以上の支援はもうできません」と仕入れ先の社長たちに宣告れたとき、既に覚悟していた賢一は「今までのご協力心からお礼申し上げます。これからご迷惑をかけてしまいますが……」と不渡りを出すことについて謝罪した。 つづく 弁護士は、「任意での処理は無理のようですから、破産を申し立てましょう」と言った。 ――というのは最初は任意で整理をしようということであったが、取引先が多岐にわたっていて、各社がそれぞれに債権回収の行動に走り、収拾がつかなかったからである。 結局、会社も賢一個人も会社及び自宅の住所を管轄する横浜地方裁判所川崎支部に自己破産を申し立てた。 会社としては約八億円の負債、賢一自身も会社の借り入れの個人保証をしていたために金融機関に対して約三億円ほどの債務があった。 ――それらがすべて今回免責決定を受けて帳消しになったのである。 会社は消滅し、わずかに残った破産財団(財産)は管財人が、一般債権者たちに約八%の配当を行ってすべて終了した。 ――その2――
賢一個人も社長としての地位と報酬、そして居宅も別荘も預金も車も無くしてしまった。 また社会的な信用も会社とともに雲散霧消してしまった。 そうした過程を経て、年金だけが頼りの無職無収入の身の上になりはてたのである。 裁判所から川崎駅までの大通りは、両側にはかなり樹齢が古いと思われる大きな銀杏が、中央分離帯にはケヤキがずらりと並んでいる。 また、それぞれの街路樹の下には、つつじなどの灌木が整然と植えられている。 そうした樹木の新緑が初夏を感じさせる強い陽光に照り映えていて目に眩いほどである。 駅までは徒歩で十五分程度かかるが、賢一はその倍程度かかると思われる速度で、歩きだした。 急ぐ必要などなにもなかった……。 自宅には賢一を待っている家族は誰もいないのだ。 妻は夫が破綻したあと、自分の親からの相続財産を債権者に奪われるかもしれないという危惧から離婚を要求し、自暴自棄になっていた賢一は、どうにでもなれ、とそれに応じた。 法的には妻の財産までは債権者は手は出せないが、そんなことを無視して債権を奪取しようとする悪質金融業者が自宅の周りを徘徊し始めたので、妻は恐れをなして、自分の親戚に避難し、そしてその後離婚を要求してきたのだ。 既に、娘たち二人は嫁いでいたから、賢一は独り暮らしになっていたのである。 当初、自殺やどこかに出奔することも考えた。 けれども一部の友人や娘に励まされてかろうじて長く暗いトンネルをくぐり抜けて今日まで生きながらえて来たのである。 空は蒼く澄み、わずかに吹き渡っている風は爽やかだし、川崎の工業地帯に近い街にしては緑豊かな公園都市のような雰囲気を醸し出していた。 けれども、賢一の足取りも心の中も病み上がりのような気怠さを感じていた。 既に還暦を迎えた年齢で、これからどうやって生きていったらいいのか、と前途のことを考えると暗澹たる気持ちになり、また出口の見えない暗いトンネルに引きずり込まれいくような気分に陥るのであった。 賢一は、喉の渇きを覚えて、途中の道路沿いの喫茶店に入った。熱いコーヒーを啜りながら、会社は、そして自分は、どうしてこんな酷いことになってしまったんだろう、と悔恨の気持ちで一年半前からのことをふり返っていた。 賢一が経営していた会社は、本社が川崎市武蔵小杉にあったが、実際の営業拠点は原宿にあって、仕事はアパレル関係だった。 アパレルと言っても、大手のように自社ブランド型ではなく、製造卸し・販売型のいわゆるマンションメーカーと言われるタイプだった。 マンションの一室を賃借して、賢一自身が経営者であり、デザイナーやプランナも兼ねて、数人のスタッフを雇用して運営する小企業だった。 賢一や、担当スタッフが企画デザインを行う点は大手と同じだが、自社で管理する売り場を持っていないので、展示会を開き、あらかじめバイヤーから注文を受け付けて受注の量に基づいて、生産・卸売りを行う……という仕事の流れである。 小企業といえども好況時には、規模に不相応なほどの大きな売り上げと利益が毎年獲得できた。 原宿の神宮前や千駄ヶ谷に密集しているマンションメーカーの社長たちは、先端的なファッションに身を包み、生活ぶりも派手で、車もジャガーやベンツに乗っている者も多かった。 けれども、賢一はそういうこともなく、会社も堅実に経営を続けてきたのに、バブル崩壊後、取引先からの過酷な値下げ要求と、仕事そのものが消費低迷により激減し売り上げは下降するばかりだった。 そんなさなかに突然取引先数軒から多額の不渡りを食らい、また中国の上海近郊の現地企業に委託していた製品が、不良を発生させて、多量の不良在庫を抱え込んでしまったことなどにより、好調を続けてきた業績は、急降下してしまった。 また地価が急激に下落したために取引銀行からは、担保の積み増しや、借入金の返済を容赦なく要求されて、会社として八方ふさがりの状態にまで追いやられてしまったのである。 ――その3―― 喫茶店を出て、駅への道を辿り、川崎駅構内に入ると、来たときと同じように雑踏に呑み込まれた。 溝の口の公営単身者住宅に住んでいる賢一は、ここから出ている南武線で帰途につくのである。
JR川崎駅は東海道本線、京浜東北線、南武線などの線路の上に巨大な駅ビルが造られていて、三階建てほどの高さがありそうな吹き抜けの空間が広がっているコンコースが東西を結んでいる。 大通りから一旦地下街に入り、駅へ向かう長いエスカレーターに乗り、改札の近くまでやってくると、突然……賢一の耳に、懐かしいメロディが入り込んできた。 コンコースの巨大な空間の中には、電車が行き交う音、人々のさんざめき、周囲の店舗や飲食店からの音楽などが渦巻いている。 そうした騒音を押しのけるようにして坂本九の哀愁を帯びた曲が耳に届いてきたのである。 ――上を向いて、歩こう、涙がこぼれないように―― なぜこの曲が今頃演奏されているんだろう、と思いながら、改札の前にある待ち合わせ用のスツールに腰を下ろして聴き入っていると、その懐かしいメロディは賢一の今の疲弊し混迷した心の中に優しく染み入ってくるようだった。 坂本九は、賢一にとっては他の人以上に懐かしく忘れられない想い出の人だった……。 九ちゃんの曲を聴くと言うことは、自分自身の青春を振り返ることでもあった。 賢一は大学二年のとき、アルバイトで九ちゃんの運転手をしていた。 それは、所属していた大学の自動車部で、芸能プロであるマナセプロダクションの依頼を受けて社長やスタッフ、そして所属タレントの運転手を引き受けていたのだ。 部員が常時交代で、プロダクションの数台の車の運転手を務めていた。 行き先は、各テレビ局、スタジオ、クラブ、タレントの自宅への送迎が仕事であった。 「石井、お前は、九ちゃんの運転をしばらく担当してくれ」と、上級生に言われたとき、ファンだった賢一は、無性に嬉しかった。 当時プロダクションには、九ちゃんの他、ジェリー藤尾、森山加世子、ダニー飯田とパラダイスキングなどが所属していて、それぞれ人気絶頂だった。 九ちゃんの自宅に初めて迎えに行ったとき、賢一は緊張していた。 今では川崎市のどこだったのかは記憶にないが、駅からそう遠くない場所で下町の雰囲気が漂う街だった。 九ちゃんの自宅を探し当てて、玄関から中に入り「プロダクションから迎えに上がりました」と声をかけると、母親らしき和服の女性が、「いつもご苦労様です」と丁寧に挨拶をしてきた。 まもなく、九ちゃんが現れた。 「おはよう。じゃあ頼むよ」と、気さくに声をかけると後部座席に乗り込んだ。賢一は、緊張しながら、「ハイッ」と、一声だけ返事をした。 「名前はなんて言うの」 「石井賢一です」 「そうか、石井さんか。これからもよろしくね」と、九ちゃんは言った。 賢一は、九ちゃんが気さくに声をかけてくれて嬉しかった。 もっと喋りたかったが、なにを話しかけていいのか分からずに、運転を続けた。 しばらくすると九ちゃんは「石井君はいくつ?」と、言った。 「昭和十六年です」と賢一は生年を言った。 「えっ、じゃあ僕と同じ歳だね。何月生まれ?」 「四月です」 「そうか、僕より少しお兄さんなんだ」と九ちゃんは言った。 その日の深夜、また川崎の自宅に送った。 すると、九ちゃんのお母さんは、和室の仏壇の前に、朝迎えに来たときとまったく同じ姿勢で端然として坐っていて、「本当にご苦労さまでした。どうぞ、上がってお茶でも飲んでいってくださいね」と言って、賢一を自分の座卓の前に誘った。 自分は一介の運転手なのに、丁寧にお礼を言って、もてなしてくれるお母さんの心遣いに嬉しく思い、恐縮しながらお茶を飲み和菓子を食べた。 九ちゃんの礼儀正しく優しい人柄はこのお母さんから受け継いだものなんだなと思った。 ――その4―― ――その後、九ちゃんの芸能人としての活躍はめざましかった。 賢一の方は卒業したあと、大学の先輩が経営するアパレル会社に就職した。 もともとファッション関係には興味があったし、アルバイト中に九ちゃんや、その他ジェリー藤尾、テレビ局に出入りする芸能人、スタッフたちの流行の先端をいくコスチュームや、その頃、全盛だったVANやJUNのファッションに刺激されて、自分もそうした仕事に携わってみたい、と思っていたのだ。
先輩の会社で十年間デザインから仕入れまで、担当して、経験を積んだあと独立した。 そして、高度成長の波に乗って、会社は躍進し、従業員も二十人ほどを擁するまでに成長した。 九ちゃんは歌手として、賢一は中小企業の経営者として、二人はそれぞれの道を歩んで活躍していたのだ。 ――しかし、ついにあの日はやってきた―― 昭和六十年の八月十二日。 あの日の衝撃は今も忘れることはできない。まさか、あの九ちゃんが……。 嘘だろう、嘘であって欲しい、とテレビのニュースを見ながら、新聞記事を読みながらなん度も思った。 けれども間違いなく、あの九ちゃんが搭乗していた飛行機は群馬県御巣鷹山に墜落したのだ。 九ちゃんの死が紛れもない事実だと認めざるを得なくなったとき、賢一の脳裏には、次から次へと二人きりで過ごした車の中でのひと時が甦った。九ちゃんは、あのときは間違いなく、くつろいでいた。 誰の視線も気にすることなく、エンターテーナーとしてのサービス精神も発揮する必要もない、自由なひと時ではなかったか、と思った。 だから、却って一見機嫌が悪いのかと思うほど、笑顔もみせなかったし、饒舌にもならず、賢一の運転に身を任せて疲れ切った身体と心を休めていたのだろう。 九ちゃんはテレビや映画で見るときにはいつも満面の笑みを絶やさず、元気で優しくて折り目正しかった。 どんなときでも自分の仕事に精一杯の努力をして全国を飛び回り、たくさんの人々に喜びや元気を与え続けたのだ。 もっともっと長く生きて、日本中の人に、いや、世界中の人々に自分の歌を聴いてもらいたかったのだろう……。 ふと、我に返るといつのまにか「上を向いて歩こう」は終わっていた。 けれども、賢一の耳にはまだ、あの哀切なメロディがコンコース内の騒音の中から聴こえてくるように感じられた。 スツールから立ち上がると、改札を通りホームへの階段を降りながら、賢一はあらためて、九ちゃんが、死に直面したとき、どんなに辛く、恐ろしく、悲しかっただろうと心情を思いやって、思わず涙が滲んできた。 九ちゃんと家族の悲しみに較べて、すべてを失ったと思いこんでいたが、自分には健康な肉体と、二人の娘もいるではないか……。 今、もし天国の九ちゃんと会話ができたならば、きっと「石井君、元気を出せよ!上を向いて歩くんだよ……」と、言われるのではないか、と思った。 そうだ、自分も今はどん底の状態にあるけれども、九ちゃんの笑顔と――上を向いて歩こう――という歌声を支えに再出発してみよう。 そう思って、南武線の車両に乗り込んだ。 そして、座席に坐ると、小さな声で、唄い出した。 ――上を向いて歩こう、涙が零れないように思い出す、春の日、ひとりぼっちの夜……。 完 |